はじめに

世界に名だたる絵画の巨匠 ダリ
奇才、天才などと冠されることの多い彼だが、彼は天才だったのであろうか?

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2016年秋、我が家の殿さまと娘が二人で出かけたダリの展覧会。
国立新美術館で行われた美術展から帰ってくるなり、彼らは口をそろえてこう言った。

「ダリは秀才だったんだね。」

ダリは本当に天才だったのか

我が家は三人家族。
夫婦と子供一人の核家族だ。
主人も私も運動や騒がしい事が苦手で、出かけるといえば、動物園か公園か美術展だ。

子供が十代になると本人の友人関係が色々と忙しく、ほとんどの子は親と一緒に過ごすことは短くなりがちだが、うちの娘はそうでもなかった。

それでも、年頃の娘は普段父親を煙たがっているので、二人だけで出かけるなどとても珍しいことであったのだ。

父親である殿さまは50代半ば、社会学を研究している学者である。
大学生の頃は絵画サークルに所属し、油絵なぞを描いていた経験があるらしい。
娘は16歳の女子高校生。美術コースに進学して半年あまりのころ。
『同世代の平均より美術館に出かけた経験が多い』と自負している私よりも、多くの絵をネット検索等で見て既に知っていた。
母親の私は中学生の時の自作漫画くらいしか絵の経験はない。

絵画経験者の2人がそろって放った言葉に私は衝撃を受けた。

 

ダリは秀才だった。

天才と秀才はどう違うのか。

そもそも天才とは、秀才とはどういう人なのか。

我が家ではその話題はなんども持ち上がってきていた。

殿さまは古典主義のロマン主義的解釈こそが、グローバリゼーションを生き抜く唯一の方法ではないかと考えている学者である。
正直、何を言っているのかよくわからないことも多くあるが、『誰であっても他の人よりも得意なことがあって、それを伸ばし、社会に生かしていくことが幸福だ』というのが持論だ。

誰にでもある他の人よりも得意なこと。
つまり、生まれつき備わっている才能である。
それを活かした仕事をすることが、社会にも本人にも幸福なのだと考えている。
生まれ持った才能を、より一層伸ばすよう努力することによって社会に貢献する。
つまりその才能の秀才になれといっているのだ。

ダリが天才だったかどうかわからないが、ダリ展を見に行った二人が感じたことは、ダリはすごい努力家だったということだった。
すごい努力をして、たくさん美術の勉強をしたのだという。

勉強をすごくたくさんした人=秀才=ダリは秀才

よって、上記の発言が飛び出したのである。

ダリが天才かどうかはわからない、が、少なくともものすごい秀才であったことだけは確かだ。

我が家の娘は油絵を始めたばかり。
ダリのように努力を続け、自分の描き方を見つけて欲しいと思っている。
それにあやかってブログの名前をつけてみた。

ダリへの道も一歩から、まだ踏み出したばかりである。

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