講評と酷評のはざまで☆少しずつでもレベルを上げるには

作品を『講評』してもらうには

 高校に入ってから本格的に絵の勉強をし始めた娘。
初めて『講評』してもらえるようになったのは一年の冬休み明けくらいからであろうか?
それまでを試しに段階に分けてみた。

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講評への道:レベル0

最初は紙とペンで何かをかいている、という評価しか与えられない。
↑『描いて』でもないことに注意!
かいているのが、文字なのか絵なのかの区別もしてないんじゃないの?くらいしか判断されない。
まるでページをめくるかのように先生の目線は次の絵へ移っていく。
20時間かけて描いた作品であっても、見てもらえるのは一瞬である。

 

講評への道:レベル1

絵を描いていてえらいね。」と声をかけてもらえる。
↑『かいて』が『描いて』に評価があがっているところがポイント!絵を描いてさえいれば、どんなことでも褒めてもらえる時期。落書きに毛が生えた程度でよしとされる。
少なくとも「この子は絵を描こうとしているんだな。文字ではなく。」って思ってもらえている。
何を描いているのか、それが物(静物せいぶつ)なのか生き物なのか判断して、ちょこっとは目を留めてもらえる

講評への道:レベル2

好きに描いていいんだよ。」と言われる。
↑描いているのは絵である。と認識され、もっともっと描きたいという作り手の意思を感じてもらえている。
この時期は本当に好きなように描いていい。
描かれた対象はただ単純に褒めてもらえる
好きなタッチで、好きなものを、好きなように描いていい。
絵を描く人にとって、もっとも幸福で穏やかな時間だろう。
先生によっては作品へのアドバイスをしはじめてくれる。
描いている本人が気まずく思うほど褒められた時には、次の段階に進む時期であると悟ろう。

講評への道:レベル3

「ここはいいね。こちらはもっと工夫したほうがいいよ。」と褒められてけなされるレベル。
↑この時期が長い。
ここでやっと『講評』してもらえるきざしが見え始める。
褒められるとうれしいけれども、批評されると衝撃を受ける。
描いた絵をただ褒められていた時とは違い、皆の前で批評される気まずさを知り始める
描き始めた時よりも格段に『上手』になっているはずだが、自分の得意なところも苦手なところもわかり始めてくる頃。
高級な趣味として絵を描きたいのなら、ここまででやめておくべき。

講評への道:レベル4

前回描けたところはできて当たり前、がんがん批評を受ける。
まれにべたぼめされる時もある。
↑ここでやっと「趣味じゃないんです。絵の勉強しているんです。」といえる。
好きなものを好きなように描いてよかった時期を懐かしむ余裕もない。
作品に手を抜くとそれは指導者にはすぐにばれてしまい、「この間はもっと描きこんでいたよね?」などと言われてしまったりする。
得意な部分はより一層できるように、うまくいかない部分は工夫したりもっと考えてみるように。
指導者によりお尻をばしばし叩かれていく。

レベルが上がっても講評は続く

私が知っている『講評』の段階はここまで。
娘は今レベル4に入ったところなので、その次の段階は知らない。

レベル3の時期は高校1年の終り頃から3年の夏休み明けくらいかなぁ?
指導する先生によって表現の違いはあるし、生徒によって接し方を変えてくれることもあるので一概にはいえない。
作品の出来によってはレベルが下がってしまい、対応が変わることもある。

先生によって評価が分かれることもあり、A先生に「いいね。コレ!!」ってベタぼめされて、喜んでいたら、同じ部分をB先生に「なんだこれ。」って言われることも多々あり。
ある程度のレベルを超えた部分に関しては『その人の好み』がすごく反映されちゃうものらしい。

人間同士だから相性も関係するので、「この人ダメかも」って思ったら、病院と同じでセカンドオピニオンを求めるのもよし

講評のレベルにはまだまだ先があるのかもしれないけど、どこまでいけるのかなぁ?
娘への評価に一喜一憂している親ばかな母じゃである。

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