絵を描き始めた。最初の一歩。
高校受験と中学三年の中間テスト
あれは中学三年の二学期、中間テストの結果を持ってきた頃のこと。
その年、何度目かわからないほど数多く開かれた『家族会議』の中で殿さまは娘に告げた。
「この成績で入れる高校に入ったとしても、高校に行く意味がない」
中三の夏休みにしたことは
殿さまは大学教授、社会学を研究している学者である。
大学に来ている学生達がグローバリゼーションを生き抜くためにはどうしたらよいのか。を日々考えて指導している。
娘は普通科高校を希望していたのだが、その高校に入り人生を続けていくことは、将来の荒波に耐える役にたたないというのだ。
娘の成績は総合的に見て中の中、特に問題なのは英語だ。
成績は中の下。
問題意識を持っていたからこそ、夏休みに学習塾に通って一年生の復習からやり直してきたはずである。
午前10時から夜9時半までの合宿のような授業体制の中、高校受験前の貴重な夏休みをまるまる使ったはずである。
一学期と変わらない成績を持ってくるとは思っていなかった私は愕然とした。
勉強しても、時間をかけても成績が上がらない子
あれほど勉強していたはずなのに、なんで身につかないんだろう?
殿さまも私も受験戦争を生き抜いてきた世代である。
勉強すればばした分だけ、成績が上がるのを目の当たりにしてきた。それが当たり前だった。
あれだけ勉強していたのに、
あんなにくたびれた様子で帰ってくるほど勉強していたのに
この成績しか取れないのなら、この子は本当に勉強が苦手なんだなぁ。
あんなにつらい様子で、毎日塾に通って一生懸命やっていたのに、成績は上がらないんだなぁ。
そうか。
そうだな。
可哀そうだけどしょうがない。
勉強が得意じゃないのなら、
高校に行けないのなら、就職かぁ。
高校にいかずに就職する道を考えてみる
15歳で就職。
大変だけどこれからの人生をなんとか生きていくためには、仕方がない。
可愛い子には旅をさせろというじゃないか。
今からならまだ担任の先生に相談して、どこか就職口を探してもらえるだろう。
勉強が得意じゃないんだもの。
そうするしかないんだなぁ。
この間のテレビで特集していた、温泉の仲居さんとかがいいかもしれない。
厳しい女将さんに育ててもらって、しっかり躾けてもらえて。。。
その方向で考え始めていた時、殿さまは再び発言した。
「普通科高校に行く意味はない。」
普通科高校進学以外の道
。
。。
。。。。。
。。。。。。あ。
普通科高校以外の道があるの?
高校に行けないと思っていた娘と私はとても驚いた。
普通科高校以外の高校に行けばいいのだ!
それから私たちは娘の成績表をもう一度見返してみた。
小学生の時の分からである。
成績が良いのは国語と家庭科と音楽と美術。
小さいころから本が好きだったし、合唱部に入ったりと音楽も得意だった。
まず家庭科について考えてみる。
家庭科が得意な子はどんな子なのか?
娘は一人っ子のためか面倒見がよく、四月生まれなので幼稚園の時からお姉さん的存在ではあった。
料理を手伝うこともあるが、裁縫などはそれほど得意ではない。決められたことを決められたとおりに行うのが苦手なのだ。
あれだけ英単語を覚えられないのだから、食品の栄養素とか覚えるのも苦手なのではないか?
家庭科は選択外になりそうだ。
音楽が得意な子はどんな道を目指すのか?
次に音楽の道を考えてみる。
声も大きいし音感も悪くない。
五年生の時には学校のミュージカルで主役をしていた。
そのあとしばらく「劇団四季に将来入りたい。」と言っていたことを思い出す。
でも、楽譜を読むことはいくら教えてもできなかったし、楽器は得意ではない。
音楽で身を立てるには金銭的なバックアップが不可欠であるが、うちにはそんな余裕はない。
音楽も無理そうだな。
美術の道はどこへと続く?
次に美術の道を考えてみる。
そういえば、子供のころよく絵を描いていたかもしれない。
『せんせい』というお絵描き道具があって、友人にプレゼントされたものも含めてうちには3台あったっけ。
白い画用紙も、色画用紙も絵を描いたり工作したりできるようにいつも用意していたなぁ。なくなったら買い足してって何度もしていたような覚えがある。
字を書くようになってからあまり描かなくなっていたけれども。
唯一描いているのは毎年の年賀状。
幼稚園の時から毎年娘の絵をベースにして出していて、小学3年生からは干支の絵を描いて送っているあれ。
そういえば、いつも褒められてるなぁ。
でも、美術もお金がかかるって聞いたことあるし。
あ。殿さまは大学の時絵画サークルに入っていたんだっけ。
と思い当たる。
その彼が言った。
「このりんごをちょっと描いてみなさい」
え。
そうきましたか!!
突然りんごを描いてみることになった。
あわてて紙と鉛筆を用意しだす。
そういえば、幼稚園の頃とか三人で絵を描いて遊んだこととかあったなぁ。
娘は私のまねっこをするのが大好きなので、一緒に歌を歌ったりはしょっちゅうしていたのだが、私は絵は描けないので、小学生になってからは絵を描いて遊んだりはしてこなかったのだ。
りんごを描いている鉛筆の音が響く。
もくもくとりんごを描いている娘。
へぇ。ちゃんとりんごに見えるじゃん。
何も言わずに見守っている殿さまと私。
30分後、出来上がったりんごの絵を見ながら殿さまがコメントしていく、今思えばあれは『講評』もどきだったんだとわかる。
その翌日から娘は毎日絵を描き始めた。
通っていた学習塾には、授業料を払い込んだ直後だったがやめることを告げた。
美術系の高校は数少ないが、その受験科目には絵の試験もある。
それに向けての勉強には遅いスタートだったが、受け入れてくれる絵の教室を見つけて通うことになった。
家では殿さまが絵の指導をし、週に2回絵の教室に通う。
絵の勉強をしている時間はそれまでの学習塾の勉強をしている時間よりも多かったはずだが、表情が全く違ってきたので私は安心した。
突然の進路変更とその結果
短い準備期間だった。
本命の推薦試験まで三か月半しかなかった。
まじめな子なので、推薦の成績条件はクリアしていた。
が
残念ながら通らなかった。
本命の本試験までは1ヶ月半あまり。
推薦試験の準備しかしてこなかったので、結果は惨敗。
本命ともう一校、その二つしか受けなかった。
第一志望だった公立の美術科高校へは入れなかったが、私立の美術コースのある高校に入学が決まった。
「絵が好きなのなら、美大に入れるように指導します。」
進路相談に行ったときに面接してくれたP先生のところだった。
あの日から三年あまり。
突然絵を描くことを始めた娘であるが、描くことは楽しいそうである。
講評でどんなに批評を受けても、中三の夏休みの時のような、苦役に耐えているような顔をすることはない。
たとえ30枚に1枚しか褒められなかったとしても、よく描けた1枚をめざす300時間は無駄ではないと思えるようだ。
1枚の絵を描く、絵を描かないものにとってはその道は想像もできない。
でも
ゆっくりとでいい
躓きながらでもいい
その道を歩んでいってほしいと思う。
親ばかの母じゃである。