親ばかなの

久しぶりに実家に出かけた。
娘の最新作であるパステル画を見せたところ、母は反応に困ったらしく無言になってしまった。
なんの反応もないので、大学生になってから描いた他の作品も見せたのだが、やはり期待したような反応はない。
(スマホの小さな画面で見せたので、仕方がないのかもしれない。と、娘のためにも書いておこう。)
親である私にとっては『上手に表現されている』と思った作品であっても、それほどでもないのかもしれない。
重々承知しているつもりではあったが、やはり親ばか的に娘の作品を見ているのだと再認識した。

子犬と子猫
『うちの子が可愛い』は親ばか目線

まぁそもそも、『上手に描けている』と思った時点で、それには『娘が描いた中では』という注釈が実はついているのだ。
『今まで描いた中では上手に描けた人体クロッキー』とか、『初めて描いたにしては上手に描けたパステル画』とかいう意味なのである。
親ばかである私が見ても『美大を目指している人が描いたとは思えない人体クロッキー』を去年の今頃は描いていたのを知っている身としては、『うん。よく描けている』と思ったパステル画なのである。
私から見ればかなりよく描けているパステル画であったとしても、それは親ばかな私の目から見たものなのだ。
娘の作品が上達しているのが解るのは、彼女の作り出す作品を数多く見ているからである。
何枚もの『よく描けていない』絵を見ているからこそ、『(今までのものよりもずっと)よく描けている』と思えるのだ。

正解のない美術の世界では『よく描けている』かどうかを決めるのは観る側の視点。
ちゃんと伝えられる表現力をしっかりと身につけることが何よりも大事。
表現力を高めれば、もっと高い評価が得られるのはないかと思うのも、また親ばかの感覚なのである^^;


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