新学期が始まる。違和感を抱えているあなたへ。
今日で夏休みも終わり。
明日から新学期が始まる。
この季節いつも気になるのは、学校が始まってからの子供の様子だ。
私も子供の頃、小学校高学年から中学生にかけて、学校に行くのも家にいるのも嫌だった。
放課後や長い休みの時、図書館や書店で一人で時間を過ごしていたことを思い出す。
学校は小さな社会で、似たようなタイプ以外の子供を弾き飛ばす傾向がある。
小さな社会から爪はじきにされて、『変わっている』の烙印を押されるのだ。
主人も私も『変わっているね』と子供の時から言われることが多かったため、当たり前のように我が子も『変わっている』子供に育つだろうと思ってきた。
日本では、(昔も今も変わらないと思うが)多くの人と違う行動をとったりすることは嫌われることが多い。
他の人が言わないような発言。
他の人と違う行動様式。
他の人と違うファッション。
クラスメイトやバイト先や職場の同僚たちと『上手に合わせることは難しい』と、いつの頃からかは覚えていないがはっきりと認識していたので、同じように『他人と違うように考え行動する』主人とは付き合いやすかった。
出会ったときから、『自分は人と付き合うのが難しい』と考えていた同士だったので、相手は当然自分と違うように考え行動すると思っていたからだ。
『人と違うように行動する』x『人と違うように行動する』から産まれた子供は『人と違うように行動する』に違いないと当然のように思ってきたから、小さな社会である学校で爪はじきにされるのではと心配してきた。
娘が大きくなるにつれ、他の人と『上手く』やれない事が多くなってくる。
小さな違和感を抱えながら生きる娘は、自分の居場所を求めてもがいているように思えた。
娘が変わったのは絵を描き始めてから。
それまでは他の人と違和感を持ちながらも過ごしていることが多かったが、絵を描き始めてからはなんとなく過ごすことがなくなった。
『違和感がある』ということは、他の人と感じ方が違うということだ。
他の人と同じようには考えられないということだ。
他の人と同じように行動しても楽しくないということだ。
他の人ができることが、自分は上手にできないということだ。
他の人よりも『上手くできない』ことがあるなら、裏を返せば『他の人よりも上手くできる何か』があるはずだ。
今まで得意な事が見つからなかった娘だが、やっと自分の得意なものを見つけた。
何が得意なのか、はっきりとわかったわけではないが、ぼんやりと『コレが得意なんだろうな』と思い始めた。
なんとなく誰かと無為な時間を過ごすのではなく、得意で楽しくてワクワクするようなことをすればいいのだとわかったのだと思う。
芸術の世界では、他の人と違うことは大きな武器になる。
『変わっている』人の多い美術の世界では、娘は思ったよりも変わっていないらしい。
もっとずっと『変わった』『付き合いにくい』人もいるが、付き合いたくない人に合わせる必要はない。
そのずっと『変わった付き合いにくい人』も美術の世界にはちゃんと居場所がある。
付き合いにくいということは、『何かが極端にできない』ということだ。
裏を返せば『とても良くできる何かがある』ということだ。
他の人と違うアイデアを出せることを、芸術の世界では強く求められている。
『変わり者ばんざい』の世界が、ちゃんとこの世にはあるのだ。
もし、今いる世界に違和感を抱えていても。
たとえ『変わっている』の烙印をいつも押されてきていたとしても。
似たような『変わっている』仲間がきっとどこかにいる。
その仲間たちの間では『変わり者』のあなたもそんなには『変わっていない』かもしれない。
または、その『変わっている』が歓迎される場所かもしれない。
明日から新学期が始まる。
再び『過ごしにくい』学校に通わなくてはならないかもしれない。
今周りにいる人たちは、あなたの仲間ではないかもしれない。
でも、どこか別のところにあなたの仲間はきっといるし、見つかりにくいかもしれないがあなたが『居やすい』と思える場所がこの世のどこかに必ずある。
今『居にくい』場所はあなたの『居るべき』場所ではない。
『居やすい場所』は必ずこの世にあることを、どうか心に留めておいて欲しい。