楽しいけれども難しい、油絵の課題
久々に描き上げた油絵。
思い通りに描けて楽しかったようだ。
今回の講評は、
「すごく強い絵。パット見の強さがある。でも、なんかポスターっぽい。油の盛りとか、筆跡とか、絵画的な要素がもっと欲しい。」
だった。
油絵を描くと言う事は『油絵具で描くことの意味』を毎回求めらる。
その絵をなぜ油絵の具で描いたのか。
なぜアクリル絵の具ではないのか。
なぜ水彩絵の具ではないのか。
日本語で物事を考えるときと、英語で物事を考えるとき。
同じ問題提起であっても、筋道も結論も全く違うものになるのと同じことだ。
たとえ同じ人の頭の中で起こる事であっても、考える言葉を変えることで、結論まで変わってしまうのは不思議だ。
バイリンガルやそれ以上の人達の苦労がしのばれる。
水彩で描くかアクリルで描くか油で描くかによって、出来上がりがまるで変わる。
というか、変わらないのならその素材を使う意味がない。
その素材を使って描く意味を、いつも考えて描かないといけないように思える。
今回の講評では、「技法的な意味で、絵の表面に執着を持ってほしい」と言われたように感じた娘。
筆の跡や油の盛り。
絵画らしさを 絵の表面に出さなければならないということか。
絵の話を聞いていると毎度、『大変だね』と言ってしまう。
それを受けて娘はいつも
「大変じゃないよ。楽しいよ。」
と困ったような顔で答える。
こんな難しい課題をいつも突き付けられて、大変じゃないのかと問う私に、
「楽しいよ。難しいけどね。」
と答える娘。
楽しいからやれる。
けど、難しいことをやっているので、時々頭が熱く痛くなってしまう。
難しいけれど、アイデアが出てこないと辛いけど、大変じゃないと答える。
ふうん。そんなものなのかねぇ。
油絵を描いて楽しいことはわかったが、課題はまだまだ山積みだ。
一学期と夏期講習の間にある休み中に、やるべきことはたくさんあるらしい。
ただ見守るしかない。