石膏デッサン失敗?西洋人男性がなぜか日本女性に
昨日の石膏デッサン2日目、女性っぽくなってしまったモリエールを西洋人男性にしようとしたところ失敗したらしい。
1日目は比較的うまくいっていたようで饒舌だったのだが、思ったように描けなかった昨日はいきなり寡黙になってしまった。
娘は正確な形をとるのが苦手だ。
立方体やカップやびんなどの人工物は、シンメトリーだったり、幅が左右一緒だったりするが、正確に形をとるのが苦手なので、歪んでしまう。
もちろん何を描いても形の正確さはとても大事なのだが、人工物でなければ形の歪みはそれほど気にならないのだ。
絵を描き始めたころに比べるとだいぶ歪みが少なくなってきて、パッと見でわからなくなってきたが、細かく見ていくと歪んでいるのがわかってしまう。
美術のデッサンの練習でよく使われる石膏像は、人の形をしている造形物なので、すべての比率が決まっている。
正確に形をとることができないと、違う人や、似てる人、そっくりさんとかになってしまう。
デッサンの形の狂いがはっきりと、誰の目にもわかってしまうのだ。
そう。
素人の私の目にも。
形の狂いの手直しを、後からどのくらいできるのか私にはわからないが、今まで娘から聞いている限りでは、形が狂っているのに気づいて直しても、『すごくうまくいったの。』という発言は聞いた試しがない。
デッサンが上手になれば魅力的な油絵を描けるわけではない。
デッサンは基本で油絵は応用だからだ。
たとえば『文法をよく知っている人=文章が上手な人』ではないのと同じように、『デッサンが上手=油絵が上手』にはならない。
だが、文法を研究している学者先生が魅力的な小説を書けるわけではない。
でも、魅力的な小説には適切な文章作成能力が必要なのと同じように、油絵を上手に描くにはデッサンが上手に描けることが大事になってくるのだ。
絵を上手く描くためには、いろいろな道があり、たとえば絵をひたすら描きまくれば、それだけでしだいに画力は上がってくる。
とても時間がかかる道ではあるが、絵は描けば描くほど時間に比例して上手になるものなのだ。
だが、大学で絵を勉強したいのなら、デッサンを上手に描けるのは不可欠の要素だ。
その近道として石膏像デッサンが挙げられている。
苦手なものを得意にするには、ただただ、それを何度も何度もやるしかない。
大変だけど、がんばってくれよぉ