『得意なもの』の見つけ方。自分の才能を伸ばすのはあなた次第。

ヒトは日々成長していく。

ひとりひとりその成長具合も違う。

成長するにつれ、そのヒトの『得意なもの』が徐々に表れてくる。

 

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かけっこの得意なお友達がいた

 幼稚園の時のお友達で、かけっこのむちゃくちゃ早い男の子がいた。

お母さんに聞いたところ、はいはいする前から脚力が強かったと教えてくれた。

ベビーベッドに仰向けに寝かせていたら、足をばたばたさせているだけで上にずり上がり、ベッドの枠に頭をぶつけていたという。

ご主人も健脚だったらしく、休みの日には10km近く離れている山のふもとまで2人で行くのよ。と笑って教えてくれた。

年中さんの時だったから、5歳くらいだ。

年長さんになった時には、そのままその山のお寺にお参りに行って帰って来るようになったと言っていた。



良い筋肉と日々の習慣から健脚は作られていた

 6歳の子が山登りをして帰って来る。

ちなみにそのお寺は『高尾山薬王院』だ。

私は子供連れで、高尾山のふもとから薬王院まで歩いて登ったことすらない。

幼稚園児が20kmを往復し、かつ山登りまでこなしてくる。

毎週末の親子の時間だという。

『お父さんすごい!!』と感嘆した。

うちの殿さま(主人)では考えられない健脚っぷりだ。

 

お父さんの健脚っぷりから察するに、その男の子は良い筋肉を遺伝しているに違いない。

それに加えて、ご両親の育て方が良かったのだと思う。

週に1回20kmを歩くその男の子が、それだけしかやっていなかったとは思えない。

『歩く』習慣が彼らの生活の中で大きな役割を担っていたに違いない。

 

彼はその幼稚園の中では飛びぬけてかけっこが早かった。

才能と習慣で、その能力を高めたのだと理解した。

小学校は違ったので、彼がその後どうなったかはわからない。

が、今もその『得意なもの』を生かしているのではないだろうか。



『自分の得意なもの』を見出すには、才能と日々の努力が大事

 生まれ持った才能と、日々の努力で能力を高めることができる。

そのどちらが欠けても『自分の得意なもの』にはならない。

生まれ持った才能とはなんだろうかと、探している人は多い。

 

才能をみつけその能力を高める手助けを、子供にしたいと常々思ってきた。

娘が生まれた時からずっとそう思って観察してきたのに、彼女は何が得意なのか、なかなか解らなかった。

娘が得意で、日々の訓練をすればさらに伸ばしていけるもの。

それが『絵を描くこと』だとわかったのはつい最近のことだ。

わかりにくい才能を見つけるには、消去法も有益。

 娘が何に才能があるのか、解った理由は消去法だ。

高校受験の時、学習塾に通わせても成績が落ちるばかりで困り果てた私たちは、娘のできないことをリストアップして初めて、娘が何ができるか分かったのだ。 

  • 国語→普通より少しできるか?
  • 算数→普通。
  • 理科、社会等→普通。
  • 美術、音楽、家庭科→普通よりできる。
  • 英語→できない。
  • 数学→普通よりできない。

ここまでで解ることは、『いわゆる勉強は得意ではない』ということだ。

娘は小学1年生から学年x10分の勉強時間をこなしていた。

中学3年生の初めでは1日に90分だ。

それにもかかわらず、学校の成績は中だった。

勉強時間だけを考えてみると、その学校内で上位だったに違いない。

でも、成績は中。

つまり、勉強時間の割に成績が悪いのだ。

 

主要5教科のうち普通より少しできるのは唯一国語だが、これは幼いころから絵本の読み聞かせを行い、本を読む環境を整えてきているので当然といえる。

というか、他の多くの子達よりもずっと本を読んでいるのに、『普通より少しできる』程度であるということは、国語も別に得意ではないということがわかる。

 

となると、残されるのは美術、音楽、家庭科である。

家庭科は家の手伝いをしているから料理のことは少しわかるし、先生への受けが良いから成績がよいだけで、裁縫などの実技は明らかに苦手だ。

音楽も歌を歌ったりするのは好きだが、それに関して努力しないので、いまだに楽譜を読むことが得意ではない。楽器はからきしダメだ。

唯一残った美術は大きくなってから積極的にやらせたことがなかった。

試しにさせてみたところ、他のどんなことより『できる可能性がある』ということがわかったのだ。

美術の何が得意なのか、あぶりだしていく。

 美術もすべてができるわけではない。

たとえば造形はあまり得意ではない。

彫刻は手が小さいのでそれだけで不利だし、陶芸等を形作るのもそれほど楽しくないらしい。

デザインはアイデアを出すのは楽しいようだが、きっちり色塗りをしたり作品を作ったりすることは苦手だ。

『自由に描くことのできる絵』が一番得意なようだ。

 

得意なものは努力することも楽しい。

どんどんできるようになるからだ。

 

幼稚園のお友達の男の子のように、わかりやすい『得意な事』ではなかった。

でも、時間はかかったが見つけることができた。

主要5教科は、他の人の2倍の時間をかけて勉強しても、2/1くらいしかできるようにならなかった。

絵を描くことだけは違う。

やればやった分だけ、できるようになる。

娘が絵を描き始めて3年がたつ。

絵を描いたことがある殿さまのこともとうに追い越し、今ではずっと描けるようになった。

 

まとめ 得意なものを見つけるには

 肉体的に秀でている場合、得意なものは見つけやすい。

でもそれが隠されている場合には、なかなか得意なものは見つからない。

得意なものがみつからないと思うなら、消去法で探していくのもひとつの手だ。

何が苦手なのかひとつひとつ分析していって、残った『苦手でない』ものが得意な可能性がある。

やったことがないから、『得意だ』とわからないだけなのかもしれない。

 

人生100年時代に突入した現代社会において、たとえ50歳になっていたとしてもあと50年生きる計算になる。

もう成人していても、たとえ今からであっても『得意なもの』を見つけるのは決して遅くはない

自分の得意なものを生かせる人生がこれから始まるのだ。

 

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