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講評に耐えるメンタル:ムサビ油画の場合

高校、予備校時代の講評と美大油画の講評は全く違う。
高校、予備校時代の講評は美大に受かるためのもので、美大油画の講評は画家にするためのものだ。

一口に美大受験のための講評といっても、どの美大に進むかで若干方向性が異なるようでアドバイスが変わる。
ムサビの油画で説明する。
去年のムサビの油画の受験課題はデッサンも油画も、ともに静物だった。
台の上に人工物と自然物が載っていた。
おととしもその前も基本は同じだ。
載っているものが毎年変わるのだ。
布やビニール、鏡などの平べったいものと自然物である植物や白菜、ブロッコリーなどの野菜と花瓶やペットボトルや水分の入ったプラカップ、ひもやブロック、木材などの人工物等、いくつかの静物が組み合わせておかれる。
※静物とは『動かない物』という意味だ。
この組み合わせも毎年変わる。
どんな系統の受験課題が出るかはわかっているので、それに合わせて先生方は課題を組み立てる。
受験生はそれを描き、講評される。
そのモチーフがムサビ対策であるからには、ムサビ油画に受かるための講評がされる。

大学毎の傾向に従った受験課題へ答え、それに対する答え合わせが講評だ。
それは他の四年制大学や短大への普通科の受験対策となんら変わりはない。
国語や英語等と違って正解はないが、『この方向性でいけばよい点数がもらえるよ』というのが大学受験のための講評だ。

対して、美大油画の講評は画家になるための講評だ。
大学受験の講評と違い『この方向性でいけば画家になれるよ』という指標がない。
ムサビ油画に通っている以上、受験時に求められる『ある程度の良い点数』は取れているものという前提にたって講評がされるので、大学受験のための講評と違い『公開処刑』的な講評がされることはかなり少ないと思われる。
※ただし、一般受験でない方法で入学している場合(公募推薦等)や合格していても実技がギリギリだった場合等は、基本的な絵画の技術がまだ拙い場合もあり、そこを指摘されることが多少なりともあるようだ。なお、ムサビ油画を卒業しても、実際に芸術だけで生活できるのは極々一握りである。

たとえ油画の1年生であっても、画家の卵として実技をし講評を受ける。
画家である先生が、画家の卵である生徒に講評をする。
たとえ拙い絵を描いているとしても、同じ画家同士なのである。
まして、油絵には『正解』も『向かう正しい方向性』もない。
指導される先生の意見を全て受け入れる訳はないことは、容易に想像ができる。
先生の講評が生徒に受け入れられない場合、反論したりすることも多々あるらしい。
「あなた(教授)の言っていることは、あなたの描いている絵にはあてはまるかもしれないけど、私(学生)の描いている絵にはそれは当てはまらないでしょう」みたいなことを平気で言えてしまえるメンタル。※もちろん、言葉はもっと丁寧かも。
たとえ画家でなくても、たとえまだまだ描く絵が拙くても、自分の絵に対する強いプライドを持ち学生達は講評を受ける。

受験生の時の公開処刑のような講評を受け、それに耐えうるメンタルを皆それぞれ育てていく。
精神的に強くなれなければ、絵を描き続けることはできないのだ。

ちなみに、娘が今までに言われた一番キツイ講評は現役時代に言われた「この絵、絵の具が死んでるね。」だ。
これに耐えていけなければ、美大生を続けていくことはできないのだ。



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