進級制作作品は失敗だった

金曜日までだった進級制作展。
実は今回結局観に行くのをやめた。
「失敗した」と娘が言い出したのだ。

今回、試行錯誤を重ね挑んだ進級制作展。
もともと、4~5枚で構成を考えていたのだが、各学生に展示場所として与えられる広さが思ったよりも小さいこともあり、最初から考え直した。
作成に与えられた4週間半のうち、最初の1週間半で構成を作り出し残りの3週間で描き上げた。
1週間半の構成期間では足りなかったのだと思うと娘は言う。
仕上がった作品を見て「ステキに思えなかった」と言うのだ。

果たして、構成を考える期間が長ければ『ステキ』に思える作品に仕上がったのかどうか私にはわからないが、出来上がった作品は『ステキ』ではなかったらしい。
『ステキ』に仕上がっていなくても観に行っても良かったのだが、娘が「観に行って欲しくない」と思っているような気がしたので行くのをやめた。
その代わり、作品を撮ってもらうことだけはしてもらった。
自分が納得できるような作品に仕上がらないと、写真を撮ることさえしてくれないのだ。
↑親ばかである私は、娘が描いた作品は自然に『ステキ』に仕上がると思い込んでいるらしい。なので、何故自ら写真を撮る作品と撮らない作品があるのかさえ、その理由を今まで気づかなかった。親ばかの所以である。

撮られた作品を見る限り、親ばかの私には『ステキ』まではいかなくてもそれなりに仕上がっている気がしたのだが、先生方の評価は高くなかったようだ。
主人に見せたところ、一目見るなり「何を描いてあるのかわからない。」と放ち、それで終わった。
それが端的に表しているのかもしれない。
親ばかの私はたとえ何が描いてあるのかわからなくても、娘の作品である限り何が描いてあるのかと興味を持って見つめる。それは親ばかであるからこそなのだ。
確かに展示されている作品で、ちらっと見た時に何が描いてあるのかわからなければその作品は素通りするだろう。
おそらく作品であったことも頭に残らないかもしれない。
今回の作品は、娘が描いたと私が知っているからそれを作品として捉えることができるが、知らない人が描いたのなら素通りしてしまうかもしれない。←素通りすると言いきれないのも、親ばかであることの現れだろう。

ただ、今回の作品は『今持てる力を出し切って』描いた作品であることには変わりない。
たとえ失敗だったとしても、それは今後の作品に生きることになる。
次回作をいつも期待しているコアなファンが少なくとも1人いるというのも、考えようによってはいいのかなぁ。

審美眼を持つのは難しい。
点数等で明確に分かれるのなら違うのだろうが、正解がないのが美術の世界だ。
ましてや親ばかには良し悪しの区別が全くつかない。
もっと客観的に観るように努めなければいけないのだろうか。


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