会田誠著:げいさい を読んだ

『そうそう、美術予備校生(美大生周辺)ってこんなかんじだよね』って共感。
っていうか、タイトルから藝大の藝祭(げいさい)のことだと思ってたのでびっくり。
だって、会田誠さんって藝大出身だもの。ストレートに藝祭のことだと思ってた。

タマビの学園祭のことは芸祭っていうんだね。
ってどうでもいいあるある。

実は、この間観に行ったパープルーム主催の『青春と受験絵画』で作者の会田さんをお見掛けしたのだ。

主催者である梅津さんが会場にいらして、受験絵画の歴史を解説してくださっていた折、「会田さんの『げいさい』出版されましたしね。」ってさらっとおっしゃった。
私はうかつにも全然気づかず、「話題になりましたよね。」ぐらいの返答しかできなかった。
家に帰ってから『げいさい』を調べ、作者の画像を見て初めて
あの時会場の隅に所在なげにいた男性が、会田誠本人であったことに気づいたのだ。

そういえば、「本を持ってきてサインをもらった人が初日にいたんですよ。」って言ってたっけ。

会田誠氏の画像を見て思い出したのは、関西の大学で(調べてみると京都造形芸術大学だった)講義した際、公聴に訪れた女性が「セクハラを受けた」と訴訟を起こしマスコミで話題になった件だ。

彼はその過激な発言や作品から、今までも様々な批判を受けている。
その都度マスコミが飛びつき、ワイドショーなどで取り上げられていたっけ。
2012年の「会田誠展:天才でごめんなさい」が開催された当時、その展覧会の名称に驚き、記憶に残っている。
まさか自分の娘が彼と同じ画家を目指すとは全く考えていなかった。
その時娘は小学6年生。
どちらかというと彼の作品は『刺激が強すぎ』成長期の女子にとっては悪影響を及ぼす可能性が高い、と判断して遠ざけている時期だ。

娘が高校生になり自分の専攻を決めるために一緒にムサビの学園祭にでかけた折、日本画科の展示である女子生徒(たしか2年生だったか?)が1部屋一杯に女性のヌードのスケッチを展示していた。
『あられもない』と識者には即断されるであろうその作品群を、しれっとした表情で眺めていた娘。

性の問題はとても個人的で、隠しておきたいと思われる部分が多い。

一方芸術家は、今まで見過ごされてきた部分に光をあて、新たな評価を与えることが大きな仕事だ。

見過ごされてきた部分を見つけるためには、ソノモノをありのままに見つめることが大事だと私は考える。
自分自身を客観的に見つめる事。
自身の内部を掘り下げていく事。
成長過程で多くのカセを課してくるこの国では、一つずつ取っ払ってありのままで見つめることはとても難しい。
色眼鏡でモノを見ることが習慣づけられているためだ。

『隠しておきたい性』をありのままに見つめる事は、その手段のひとつ。

多くのカセに目隠しされている人は、自分がいくつもの色眼鏡をかけていることにすら気づかない。
その目隠しを指摘するのが、会田誠氏の過激な発言なのであろう。

ちなみに『げいさい』だが、とても読みやすかった。
少し前まで美術予備校生だった娘を持つ母親としては、あるあるに満載された作品だったし、20歳前後の芸術家の卵達が自分たちの行く末を具現化していると思われる大人たちを眺める感覚がよく表れていると思う。
作中にもある藝大の課題の出し方は、どのように受け取るのが正解なのか私には判断がつかないが、美術予備校は答えをだしていると娘は言う。
『自由に描きなさい。』という課題は、『どのように描かれるのが望ましいか踏まえた上で、描きたいものを描きたいように描きなさい。』という意味だそうだ。

美大進学を考えている子を持つ親には、読むことを勧める。
特にファイン系に進もうとする場合には。
彼らが目指す世界がよく想像できるのではないかと思う。


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