頑固とまじめ

頑固なわが娘。
他人からの忠告を受け入れるのが難しいようだ。
『●●したほうがいいよ。』とか『☓☓することはよくないよ。』とか今までも多くの人が娘のためを思って意見してくれていた。

天邪鬼なわけではないし内向的なので、禁止されたことをわざわざ行動したりはしない。
だから、これまでそのために問題行動などを起こしたことはない。
私の母(娘の祖母)からは
「〇○ちゃん(娘)は素直じゃないよね。とても頑(かたく)な。」
と評されていた。
成長を垣間見ている母にもそれがわかるらしい。
そういえば、今は亡き母方の祖母(娘の曾祖母)も私がいないところで「〇○ちゃんは難しいコだよ。」と娘の事を母に話したという。(その当時は幼稚園児だったと思う)
何かを論理的に話してくれるような人ではなかったので、娘の何が祖母にそう思わせたのかはわからない。だが、祖母は5人の子を産み孫は10人、ひ孫はその当時10人いたから、その人の発言は的を射ているのではないかと私には思われた。
娘の酷くがんこな部分を祖母は評したのかもしれない。
彼女は、自分が納得すれば何事も受け入れるのだが、そうでなければそのままスルーだ。
そういう性質なのだと思っている。

今まで色々な人が娘の性質を指して発言した言葉に『まじめ』がある。
学校の先生方やクラスメイトなど多くの人が娘を『まじめ』だと思い、そのように接してきた。
先生方に贔屓にされ、テストの点数が悪いのに成績を良くつける先生もいた。(概して学校の先生は『まじめ』にしている生徒が好きらしい)

『まじめ』で『しっかりもの』というスタンスでずっときていた娘。(『しっかりもの』は、早生まれで世話好きな性質から生まれたのではないかと思う)
幼稚園生の時はお友達のお母さんたちから、小学校に入ると先生方からそのように言われていた。
が、実はそれは娘には不満だったらしい。
特に、友人と喋っていて時々発言される「〇○ちゃんはまじめだから」とかいうセリフ。(多くの場合、否定的な意味が含まれると思うが、)気に入らなかったらしい。
(今まで10年以上ずっと『まじめ』だと言われているのに、受け入れないのが酷く頑固な表れではないかと思う。)

ところが先日の講評で、娘は『自分はまじめなのだ』と受け入れた。

ムサビのオンライン実技授業。
最初の教授と違う教授に今は教わっているのだが、娘の絵を見、説明を聞いたあとの最初のコメントが、『あなたはまじめなんだね。』だったのだ。

作品は自分自身の投影だ。
自分の内部を見つめ、掘り下げそれを形にしていく。
どのように表現するか、またはそれを上手にできるかどうかはさておき、作品は自分自身を表す鏡ともいえる。(誰かのマネとかでなく)オリジナルであるほど、作り手の本質が作品に現れるのは当たり前ことだ。

1週間前に初めて会ったばかりのその教授に言われた『まじめなんだね』という講評は、とても衝撃的だったと娘は目に涙を浮かべながら話した。
何十年も先を行く、同じ道を歩んでいるその教授。作家として、その作品が認められているその教授。
自分がアップロードした30枚あまりの作品を見、説明を聞いた、それを受けての講評の第一声がそれだったのだ。
先人として大いに認めているからこそ、その講評は受け入れざるを得ない。
自分は自分自身を『まじめ』だと思ったことは一度もないが、世間一般からみたら『まじめ』なのだ。
講評の第一声がそれだということは、自分自身の本質の大きな部分を占めているのが『まじめ』なのだ。
と、目のふちをぬぐいながら娘は話す。

「娘は不真面目とかじゃないよね?だから、まじめだよね。」
と私が言うと、そうではないのだと言う。
今までも何度も『まじめ』だと他人に言われてきたが、自分自身はそうは思ってこなかった。それなのにそれを先生は最初に指摘した。おそらく自分の核心部分なんだと思う。自分自身の多くを占める部分なのだと思う。自分の特徴の一つ、しかも一番大きいかもしれない。それが『まじめ』なのだと、初めて気づかされたのだと娘は言う。

ひとしきり泣いた後、
「まだなかなか受け入れられないけど、よく考えてみる。」と言った。

まさに、『頑固』で『まじめ』な一言ではないか。


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