夏期講習最後の一枚

娘がかなりピリピリしている。

娘の通う予備校の油絵科は2クラスに分かれていて、夏期講習中は1クラス40名くらいの学生がいる。

クラスの誰とも、娘の描く油絵の方向性がかぶっていないという。

描き方もかぶらないし、思考パターンもかぶらないようだ。

娘の油絵の描き方は、独自なようだ。

油絵だけではなく、デッサンもそうだ。

そういえば、以前から友人や先生方に

「娘ちゃんの描いた作品は、名前見なくてもどれだかすぐわかる。」

と言われていた。 

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レオナルドダヴィンチ 最初期のドローイング

レオナルド・ダ・ヴィンチ – Wikipedia

初めて通った絵画教室は、高校受験直前の12月から受け入れてもらえた個人の教室だった。

『小さい頃からずっと絵を描いていた』わけではない娘は、そこで初めて絵を描くことと向き合ったように思える。

自由に描くことがその先生のモットーだったので、好きなように描かせてもらえた。

 

高校に入ると、周りはもっとずっと描ける人ばかりで、ある程度描けることは、当たり前の事だったから、やはり描き方を教えてもらったりはしなかったようだ。

具体的にどうやって描くのか。

上手に描ける友達が周りにいるのだから、それを見ていればわかるのではないかと思うのだが。

実際の課題が目の前にあり、描くことを求められている時は、自分が描く事ばかりに頭がいき、実際に上手な友人たちがどのように描いているのか見ることはできなかったようだ。

 

結果。

独自な描き方のデッサンが出来上がったという。

私には他の人と娘のデッサンがどう違うのかよくわからない。

シロウトである私の目にすることができるデッサンは、娘のもの以外では美術館に展示された画家たちのデッサンか、教本に描かれている見本だけだ。

画家のデッサンは、娘の描くものに比べると格段に上手い。

比べ物にならないくらいの出来上がりだ。

娘が独特な描き方をしているかどうか私にはわからないが、『もっと上手になる余地がまだまだある』絵にしか私には見えない。

 

実際、美術大学のオープンキャンパスに行って合格作品などをみてみると、『もっと上手になる余地がまだまだある』と思える作品が少なからず展示されている。

もちろん、うわこれスゴイなって思える作品ばかりが展示されている大学もあるが

専攻する科により、作画における重視するポイントがそれぞれ違うだろうから、シロウトにはわからない部分も多くあろう。

個人個人で、得意なモチーフとそうでないモチーフとあるだろうし。

『構図はいいけど表現力が足りない』とか、『発想はいいけど構成がよくない』とかあるだろうし。

再三言うが、シロウトである私にわかることは、娘の絵は『もっと上手になる余地がまだまだある』ということだけだ。

 

受験まであと半年を切った。

時間は確かにどんどん過ぎてしまうように思える。

描ける枚数も日に日に少なくなってしまう。

完璧な理想的な作品など、受験生にまだ描ける訳がない。

レオナルドダヴィンチがモナリザをずっと手元において加筆を加えていたように、『理想的な絵』など、巨匠にだってなかなか描けるわけではない。

 

独自な描き方をする娘の絵には、その描き方においてライバルがいない。

なので、自分が『描けている』のか『描けていない』のかもよくわからないのだという。

見る人によって、好みもずいぶん分かれるようだ。

でも、その描き方しかできない。

できることは『もっと上手になる余地』を少しずつでも埋めていくだけ。

ただそれだけではないだろうか。

 

 

 

 

 

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