カラヴァッジョのユディト競売直前に売却だって
フランスのトゥールーズの民家の屋根裏で発見されたというカラバッジョのユディット。
競売2日前に外国のバイヤーに非公開で売られたと専門家からの声明があった。
買い手の氏名や売却額は明かせないとのこと。
ただ、「主要美術館に近い収集家」で、この絵はフランス国外の大規模な美術館に展示される予定だという。
ええええぇぇぇぇぇぇ
フランス国外ってどこーーーー!!!
絶対、日本じゃないよねT_T。
うわぁ。気になる。
フランス政府が国外持ち出し禁止とした期間は過ぎたので、持ち出されるとは思っていたけど、どこにいくのかは気になるでしょーー。
劇的な明暗法のひとつテネブリズムの発達に大いに貢献したとされるカラヴァッジョ。
暗闇から人物が浮き上がるような画面。この技法の普及者であり、多くの追随者を生んだととされている。
1607年に描かれたとされる今回見つかった作品は、素行不良で喧嘩っ早いという悪評のあるカラバッジョが、その前年34歳で殺人を犯し、ローマを逃げ出した後の作品だ。
ナポリのコロンナ家で庇護された後、マルタ島のマルタ聖堂騎士団に迎え入れられたカラヴァッジョは、マルタで騎士の一人に重傷を負わせたために投獄されたとされる。
脱獄してマルタから逃れたのち、シチリアのパレルモへと逃れる。旅先の各都市で画家としての名声を勝ち取ることができたが不品行は改まらず、他人の作品を誹謗して引き裂いたり地元の画家たちを嘲笑したりしていた記録が残っているという。
シチリアでも敵対者に付け狙われていたため眠っている時でさえ完全武装していたが、教皇の許しを得てローマにもどれるようになるまでは、大きな権力を持つナポリのコロンナ家が安全であると考え1609年に再びナポリに。
1610年、ローマの有力者たちの奔走のおかげで近々発布される予定だった恩赦を受けるために北方へ向かったカルバッジョは、旅の途中死去。38歳であった。
この話の流れからすると、誰かに殺されたかと思いきやさにあらず。
2010年、ポルト・エルコレの教会で発見された人骨はカラバッジョのものとされた。
見つかった人骨からは高濃度の鉛が検出されており、鉛中毒で死去した可能性が示唆されている。
当時の顔料には多くの鉛が含まれていたため、鉛中毒は画家の職業病ともいえる。
※顔料とは絵の具の材料
当時好まれて使われた鉛白はフレークホワイトやシルバーホワイトと呼ばれ、暖かな白色と密度、不透明性や持続性等の性質を持っていたため、レンブラントやフェルメールも愛用した。フランシスコ・デ・ゴヤも鉛中毒による神経症で苦しんだのではと指摘されている。
太く短く、波乱万丈な人生を駆け抜けたカラヴァッジョ。素行から悪名高く、作品としては評価の高い人物だった。直接的、間接的に次世代の作品への影響は大きい。