フェルメールの壁の研究は木炭デッサンにも有効か
デッサンの背景にまだまだ改善の余地の多くある娘。
フェルメールの壁の描き方を調べているらしい。
「フェルメールの描く壁ってねぇ。近くで見るとムラがあるように見えるんだけど、ちょっと遠くから見るとホントに壁らしく見えるんだぁ。」
あれ。ホンモノ見たことあったっけ?
そういえば、去年から今年初めにかけて、東京でフェルメール展やってたよなぁ。と思いつつ話を聞く。
「牛乳を注ぐ女とか、手紙を書く貴婦人とか。
同じ部屋を描いているんだけど、その陽の光によって、時間帯によって壁の色が変わるの。
ほら。朝焼けと夕焼けの色とかさ。それが壁に映ることによって色の雰囲気が変わるでしょ。
それを描きつつ、さらにそこに壁が存在しているっていう、位置感を示す描き方を彼はしているの。
だからそれを観察して、その描き方を木炭でできるようにしたいの。
たとえばこの壁とか。」
と、目の前の家の壁を指す。
「今は夜で照明の光があたっているじゃない。光があたって明るいところと、なんとなく汚れているところと当たらなくて暗めのところとあるでしょ。白い壁紙でも、全部同じ色じゃないじゃない。こういうのを追ってムラを描いていくの。それをすることによって、ここに壁があるよっていう存在感を出すことができると思うの。」
この間言っていた絵全体の2割を決める背景の処理、どう描いたらいいのか悩んでいるんだなぁと感じる。
確かに、モチーフの後ろを占めるのは壁だもんなぁ。背景として壁をどう描いたらいいのか考えているんだなぁと思い、どうしてフェルメールなのか聞いてみる。
「壁って最初はうまくいかないもので、同じクラスの人も結構今悩んでいるの。
背景って、具体的な形とか描いちゃうと向こうとこちらの位置の違いが分かりづらくなっちゃうのね。そうなると絵が破綻してしまうの。
背景をはっきりさせるっていうことは、遠くのものが明確に描かれてしまうっていうことね。デジタルカメラで撮ったみたいにぜんぶはっきりしちゃうと、どこが主役なのか、どれをメインに描いているのかわからなくなっちゃうから、背景は少しぼかしたり、全体を同じようなトーンで描いたりするの。
その時に、壁の位置感がわからないって皆よく言われているみたいに思える。
今まで描いた石膏デッサンで壁の位置感がわからないって言われたわけじゃないんだけど、背景が背景としてしっかり働いてないんじゃないかと何枚か描いていて思ったの。
背景がしっかり働いていると、絵は格好よくなるんだと思うの。
たとえば、フェルメールの牛乳を注ぐ女の背景が全部茶色だったとすると、あんまり恰好よくないよね。あの絵の壁がああいう明るい色になっているのは、主役の『牛乳を注ぐ女』を魅力的に見せるための効果のひとつなの。」
あぁ。確かに。
『光の魔術師』という異名をとるフェルメール。現存する作品数は30数点と少ないが、牛乳を注ぐ女は彼の代表作の一つとされている。
木炭で描く石膏デッサンの先には油絵が待っているので、それを考えながらデッサンを描いているのだな。
「描いているモチーフ自体が調子が綺麗に出ていて、陰影もうまくつけられていたとしても、背景が微妙だと、結果的に『微妙』っていう判断をされちゃうの。
背景がもっと『描ける』ようになったらいいのかなって考えていて、それを先生に相談してみたら、フェルメールとかの壁の綺麗な画家の絵をみることを勧められたの。
あの絵は、主役の『女』よりも壁が奥にあって、横から光が当たっているっていうのがよくわかるでしょ。それが位置感がうまくでているっていうことなので、参考になると思うの。
絵を描くにあたって、よく考えながら描かないと主役がどんなに上手く描けていても、2割を占める背景が恰好よくないと、恰好いい絵だなって思われないから。
たぶん、モナリザとかもそうなんじゃないかなぁ。
背景の描き方が、遠近法をつかっているためにぼんやりとしていて、さらに色彩遠近法を使うことによって、色が明確に分かれず、ぼんやりとして少し茶色っぽく見える、みたいな描き方をしているの。
色彩遠近法は、油絵だけじゃなく木炭でもできて、明暗差をつけないようにして背景にあることを表すことができるんだ。
そういう風に、画面の端から端まで注意を払って描くことが大事なの。」
一枚絵を描くのに、ずいぶん色々な事を考えながら描かないといけないんだなぁ。
有名な絵について美術評論家の大先生が解釈してくれていることは私にはさっぱりわからなくって、ただただ『そっかぁ。なるほどねぇ。』としか思えないんだけれど、それを実践しないといけないのは大変だと思う。
大坂市立美術館で行われているフェルメール展、日本初公開の『取り持ち女』を含む6作品が見られるという。
「光の画家」の知られざる顔を堪能できる展覧会も、いよいよ今度の日曜日までだ。
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